#17 選挙の前に言い残したいこと
中庸であること・基本的人権を遵守することの重要性を伝えたいです
本題に入る前に、私の政治的スタンスを個人的な経験と紐づけて弁明しておきます。
2025年夏の参議院選挙から、国内政治に対して積極的に理解を深めるようになりました
元製薬企業の人間なので反ワクは大嫌いです。これまでの科学の進歩とそれに伴う犠牲、そしてそれに対して多くの人にベネフィットになるためにルールを作り上げてきた企業や社会、そういった全てに対するリスペクトがなさすぎる
昔自己啓発セミナーに参加したらマルチ商法への扉を開き、様々な手法で無理な勧誘を受けた経験があり、マルチ商法も大嫌いです。経済的に搾取する奴隷制度を作り上げている人たちとは距離を置きます
バリバリの創価学会4世かつ、創価大学出身なので、政治のことはわからないけれども身近に公明党がありました
でも選挙活動はマルチ商法の経験や、政治についてよく分かってもない私が何かを伝えることは、脳みそが拒否をするので、全くしてきませんでした
それが信教の度合いになる雰囲気も嫌で、日本での宗教活動は自分だけで完結する唱題だけをしている状態でした
でも、今の状況で政治について発言しないことは、私の人生の中で後悔をしてしまうと思い、この文章を書いています。誰かを説得するというよりも、自分のために書いている、という方がしっくりきます
政教分離はドイツで院生活をする中で私自身もすっと納得できました。日本で元彼に説明した時、断固として拒否体勢を取られたので、それ以降誰かに説明することは諦めました。知ることや自身の頭で考えることを放棄した人間とは、対話は成立しないのだという絶望も私に与えてくれました。それでも話を聞いてくれる人は直接話しましょう
最近の倫理が死んでいる。
コロナ以降、ウクライナ侵攻やらガザでの虐殺に始まり、国際法の大義が失われてるように感じる。
侵略戦争はダメよって決められてたのに、あらゆる理由をつけて大国がやっちゃってる。
そんな危うい情勢で、台湾を国と認めていない日本が、中国からの台湾への攻撃は存立危機事態だと、国の最高責任者である総理大臣が、国会答弁で認めた。
内政干渉まっしぐら。
もうこれだけで総理大臣辞任すべきだと私は思ってる。
さて、こういう法律や規範は、守るべき最低限のルールであって、倫理はそれよりもっと高次的な人としてあるべき姿、みたいなことを表すことが多い。
その視点から見ると、法律はギリギリセーフだけど、倫理的ではないケースも別に罰を受けるわけではない。
だから倫理的に生きる必要もない、と考える人もいるかもしれない。
更に、世界中で守られるべき法律が守られていないという現実を、連日連夜ニュースで見ている私たちは、倫理観を保持することができるのだろうか?
これくらいならいいだろう。他の人もやっているのだから自分もやってもいいだろう。
そうやって、倫理の基準は簡単に自分の中で下がっていく。その感覚を、私たちは生きる中で知っているはずだ。
倫理は社会や時勢によって変わる。
戦国時代や最近だと世界大戦中も、たくさん殺した方が偉かった。
その意味で言うと、私たちは倫理観の変換期に立たされているのではないかとも思う。
中庸という考え方
「中庸」とは、極端な偏りを避け、過不足なく調和する状態を指す。
元は儒教の考え方で、アリストテレスのメソテースという考えを翻訳する際もこの中庸という語が選ばれた。
私はこの考え方にいつも助けられてきた。
ともすれば熱が入りやすく偏った視点に陥りやすい私が、他者との調和をとるために必要だったのがこの中庸という考え方だった。
中道改革連合が目指すこともこの中庸なのではないだろうか。
強い言葉やリーダーシップは、きっと勇気を与えてくれるのだと思う。
マルチ商法の会合でも、いつも断定口調で目指すべき方向がいかに正しいのかを説いた。
強い日本。強い経済。
その内容が指すものを明示せずに、このキャッチーな言葉で、この目指すべき方向が正しいのだと。
しかしその一方で、軽率な言葉で円安はますます進み、地理的に動かすことができない永遠の隣人である中国を怒らせる。
その行き着く先は、国際連盟を離脱した大日本帝国のように、孤立と飢餓なのではないかと思ってしまうのだ。
だからこそ、極端な考え方に突き進むのではなく、様々な側面で最善を選ぶ必要性があると思う。
そしてそれが「誰にとって」最善なのかも考える必要がある。
国を主語にしている自民党よりは、生活者を主語にする中道の方が、一国民の私にとっては明らかに身近だ。
というか、この情勢でドイツに住んでて、メルツ首相の差別的・排外主義的な発言に辟易しながら、ムッソリーニを尊敬するイタリアのメロニー首相との関係を深めている現状に呆れ返っている。
そこに高市さんとメロニーのツーショット。
枢軸国の復活も遠い話ではないなと現実的に感じてしまう。
経済力も弱くなり、大国に囲まれる地理環境で、ミドルパワーになった日本が生き残る方向は、しっかりとしたバランス感覚の上にしか成り立たない。
その点からも、そのバランス感覚がないことをこの3ヶ月間で露呈した高市首相と、彼女を総裁として選ぶ自民党、そして連立している維新には、断固としてNoをつきつけなければならないと危機感を感じている。
基本的人権についての考え方
私が危険視している日本人の傾向として、大きなものや流れの前では我慢することが必要だ、と無意識に思っていることだ。
昔、XがTwitterだった時代に、こんな内容のポストを見た。
大学の授業内で、一人の学生がマイノリティの人たちについて、「そういう人たちもいてもいいと思う」という発言をした。
その直後、教壇に立つ教師が「あなたの判断に関わらず、その人たちは存在し、生きています」と返した。
私は創価4世として、あらゆる形の差別を経験してきたと思う。
私自身は選挙活動なんてしたことないのに、創価というだけで色眼鏡で見られる。
初めてその現実を突きつけられた時はまだ20代前半で、これまで教わってきた全てが揺らいで見えた。周りからの視線は、今よりもずっと大きく、立ちはだかる壁のように見えた。今でもトラウマはある。
そして、子宮奇形を持って生まれた女性として、様々な言葉に傷ついてきた。
だからこそ、マイノリティを「いてもいい」という、まるで誰かに許可してもらわないと存在できないものではなく、「ただ存在している、生きている」ことを認めたこのポストは、元のポストがどこに行ったかもわからない今でも印象に残っている。
信教の自由も憲法で認められているし、子供を産まなければいけないという法律もない。
ただただ、社会規範に色濃く残る宗教への忌避と男尊女卑、そしてそれを当然と考えて疑問にも思わない人たちの発言によって、私にとって日本という国は暮らしにくい国になっていった。
同性婚も、選択的夫婦別姓制度も、反対勢力は人権の観点をあまりに軽視しすぎている。これらは社会規範だけではなく、法律的・制度的に許されていない。
同性愛者は、当たり前に家庭を作るという権利を奪われている。
自分の生まれ持った苗字を、制度によって奪われるのも、人権の迫害である。
自分が自分らしく生きる権利、基本的人権を、当たり前に行使できない制度がいまだに残っている。
それにいまだに固執する政権は、人権に対しての理解がないと私は考える。
そしてそれを支持する人たちも。
政治を監視することの重要性
以前、Xの留学アカウントで以下の内容を呟いた。
インドでは、2002年からテロリスト防止法が施行され、多くのジャーナリストたちが捕えられ、殺され、殺した人たちは特に罪に問われることもない、ということが起こっている。
ということをインドの防衛省で広報として働いていたクラスメイトが教えてくれた。
大雑把な理解で、治安維持法だなと認識している。
日本で議論されているスパイ防止法も、その流れの一環だと思う。
その法律がどのように使われる可能性があるのかも、私たちは世界中の現在と過去の事例から考えなければいけない。
そんなこと考える時間も暇もないよといって、考えない「つけ」が、未来の私たちに回ってくる。
生きるのは大変だ。お金も稼がなきゃいけないし、家族も守らないといけない。
人間関係の維持も、息抜きのための娯楽だって必要だ。
やることが多すぎてため息が出る。
だけど、私たちが生きるこの社会を作り上げる政治に対しては、しっかりと目を光らせていないといけない。
選挙の時に公約を見ても、本当にこの人を信用していいのか、言葉だけではないのか、昔の私は不安になった。
日頃からその情報に触れて、自分の考えを持っておかないと、あらゆる情報に溢れた昨今では振り回されて嫌になってしまう。
自分の足元がぐらつかないためにも、少しずつでいいから情報に触れて、考える癖をつける必要がある。
それ以外に、政治から裏切られる事態を避ける方法はない。
誰かがヒーローみたいに助けてくれる。
そんな幻想は、持たない方がいい。
一部の人には救世主に見えたトランプは、今や国際社会を巻き込んで混乱を起こすトラブルメーカーだ。
一人の人間に権力を与えすぎた結果、良い結果になったことを私は知らない。
どれだけめんどくさくても、様々な意見を戦わせて、その中で最善を選ぶために中庸であるべきなのだ。
それが民主主義だと思う。
「今は野党が法務審議官をやっているから、法案が全然通らないんです」なんて街頭演説で堂々と話す首相は、民主主義の信念を持たずに政治活動をしているのだと私は捉える。
通らなくても、通る法律にするためにどうしたらいいのかを一緒に考えていく。それが政治家の仕事だと思う。
その仕事ができる人間を国会に送り出すのが、私たち市民の仕事だ。
ここまで書いてきた理由から、私は自民党・維新の連立政権に真っ向から反対の立場だ。
だからこそ、この二党に投票しようと思っている人に、もう一度立ち止まって考えてもらえたら嬉しい。
そして反ワクとマルチ商法が大嫌いなので、参政党も生理的に無理ですごめんなさい
一度、社会の流れや他国の情勢、そして何よりも歴史認識について、中庸の立場で学び直しませんか。
どれだけ危うい状態にいるのかを、まだ安全な場所から直視できる最後のチャンスだと感じています。
最後のチャンスにならないことを心から祈りながら、この文章を残します。



